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東アジア青年交流プロジェクトのブログ

中国関連の戦後補償問題の概観  墨面氏講演録①

 

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 サンフランシスコ講和条約・日米安保条約とセットで締結された日華条約は、その後の日本の戦後賠償の原型をつくった。その内容は(日本側からいえば)賠償放棄。日本が払った賠償は、韓国に対する有償・無償の5億ドルを含めて1兆円。軍人恩給は毎年2兆円規模で95年までに40兆円が拠出された。加害側に毎年2兆円、被害側には累計1兆円。この1兆円は個人補償ではなく、独裁政権に「資本財」や「プラント」を輸出することで出されている。結果的には独裁政権を経済面から支援して米国のアジア戦略を補完した。吉田首相は「相手側が賠償という言葉を欲したからそう表現したまでで、こちらとしてはあくまで投資」と言っている。

ドイツとの比較で決定的に違うのは、社会全体の侵略・戦争に対する見方、歴史の記憶に対する考え方。85年には、日本の中曽根首相は靖国を参拝し、ドイツのヴァイツゼッカー大統領は「過去に目を閉ざす者は未来にも盲目になる」という演説をした。ドイツの第二の罪という思想は、侵略した史実改ざんするのは論外で、史実を記憶しない/記憶する努力をしないことも罪ととらえる。例えば、ワーゲン社の新人社員の研修で強制労働させた碑の清掃作業を義務付けたり、村を挙げての基金出資で街角モニュメントをつくったりする。それを地域の人たちが清掃したり、学校の授業で見学したりする。

中国関係の戦後補償は、台湾・香港地域を含めて3536件の裁判がある。私が直接関わっている案件は15件。中国人強制連行、戦後賠償の問題と韓国の戦後賠償裁判運動はかなり違っている。強制連行で言うと、韓国は国家総動員法で日本に連れて来られた。植民地支配の合法性が問われる裁判で、日本政府は請求権の問題は解決済みとする。これに対して韓国高裁は個人の請求権を認めた。一方、中国の強制連行には法的根拠はまったくない。まさに村を歩いている人を拉致するという文字通りの強制連行だった。日本での境遇もまったく違っていて、花岡事件などはその典型ですが、135ヵ所の現場すべてが収容所。完全に監視のもとにおかれ、約4万人が連行され7000人が死んだ。シベリア抑留民よりも高い死亡率だった。請求権への対応も違う。日韓条約は、サ条約で請求権はすべて放棄するとしている。日中共同声明では、中国政府が日本に対する戦後賠償の請求権を放棄するという文案を提示した。日本側は「日本国に対するいかなる賠償請求も行わない」という文言を入れようとしたが、「いかなる」という文言は外される。裁判では、日本の裁判所は「個人請求権はない」と言い張り、中国は「個人請求権がある」とは明確に言わず「一方的解釈は不当である」という独特の言い回しで反応する。

いま日本で行われている中国人強制連行の裁判はほとんど終わっている。全部敗訴。いまつづいているのは重慶爆撃訴訟のみ。強制連行関連の裁判は15件の裁判全部が高裁で敗訴。その根拠のひとつが国家無問責の法理という壁で、大日本帝国憲法下のことに国は責任を持たないというもの。もうひとつが時効・除斥期間の壁。20年を経過すると民事請求権はなくなるというもの。これらは世界の潮流とかなり差異があるが、日本では採用されている。

 

②へつづく