EasiaPT blog

東アジア青年交流プロジェクトのブログ

尖閣諸島を考える 孫崎享さん講演録②

①からのつづき

 尖閣問題で「棚上げ」合意があったかどうか。わたしはあったと思っている。だがそれをいうと「国賊」だといわれる。201212月の『アジア時報』で栗山尚一(72年当時外務省条約課長)という人が『尖閣諸島日中関係』という論文を書いた。そのなかで、国交正常化に際して尖閣問題は棚上げにするという合意が首脳レベルでなされたと理解している、78年に再確認されていると記述している。交渉を知っている当事者がそう発言している。わたしがそのことを書いた本がある。防衛省の図書館に行ったらそれを開架図書にしていない。『はだしのゲン』じゃなくて『わたしのホン』がなかった。少なくとも78年の日中平和友好条約にいたる鄧小平と薗田直の会談録は中国が発表しているのに日本は発表していない。間違った話は公表できないとすれば、どちらが正しいのかは自明。NHKで「棚上げ合意はあった」と言ったら後輩の岡本行夫氏に「それは政府見解と違う」とたしなめられた。わたしは「だから問題なんだ」と言った。

 ここでゼロサムゲームについて考えてみたい。ラムズボサムが『現代世界の紛争解決学』で考察している。ABの利益がそれぞれ0点から100点まであるとする。A-0点でB-100点というケースもあれば、A-100点でB-0点というケースもある。A-50点でB-50点という場合もあって、合計は常に100点になる。ところが領土問題というのは、下手をすればA-0点でB-0点になりうる。逆に、領土への執着から少し離れられるとA-100点でB-100点という結果に到達する可能性もある。これを、自分への関心が0から100まであり、他人への関心が0から100まである問題だと置き換えてもよい。自分への関心が0で他人への関心が100というのは日米関係。もっといえば普天間基地問題。相手への完全な譲歩。理想的な状態は自分への関心も他人への関心も100になっているところ。五分五分の妥協ではなく双方満足の問題解決に至る道もありうるという話。このとき現実に問題なのは日本で中国の言い分をわかっている人がいないこと。鳩山さんが言ったのは「相手は相手の根拠で領有権を主張している。それを踏まえて戦争しないようにしたい」ということ。この発言が国賊だと言われてしまう。それがいまの日本の水準。

 

③へつづく