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東アジア青年交流プロジェクトのブログ

東アジアとは何か?―民衆中心の東アジアをいかに創るか? 徐勝氏講演録⑤

④からのつづき

東アジアとは日本中心の地域秩序だと考えてもらえればいいと思います。「東アジアとは日本のことだ」と言っている学者もいます。アジアという道をヨーロッパの帝国主義者たちが歩いてつくったとするならば、東アジアという概念は、日本がこの地域を侵略支配するなかで形成された概念であると言えるでしょう。であるがゆえに、これから、日本が世界を語ろうとするならば、自らが歩んでつくってきた東アジアという概念を乗り越えねばならない。支配者の言葉ではなく、支配された者たちの言葉として、この地域の民衆の言葉として、この東アジアの概念を創り直すことなしに、日本が世界に向けて進めるとか、普遍主義に到達するなどというのは、まったくの偽善であると私は考えます。

 近日、「日本孤立」と言われています。これは2005年東アジア反日デモのなかで言われた言葉です。竹島問題の日の制定を契機にして、教科書問題、歴史認識の問題、日本軍「慰安婦」の問題などが噴出して、中国や韓国などで反日デモが行われました。そこで朝日新聞の論説員だった船橋洋一さんは、「日本孤立」という本を出しました。今日において、再び「日本孤立」がいわれております。日本孤立は、日本が1945年をもって過去と断絶できず、そして東アジアという日本中心の地域秩序を根底から変革できずにきたことと結びついていると考えます。

  第二次世界大戦で東アジアの国々は植民地あるいは半植民地の地位にあり、赤裸々な国家暴力の支配のもとにあったけれども、第二次世界大戦の後、自分たち民衆が主人公になる世界がきたのだと思いました。旧支配秩序をそのまま続けようとする勢力の間で非常に大きなぶつかりあいがありました。そのなかで、日本の植民地支配、総督府の支配、それに協力した朝鮮人(親日派)、日本の支配者も含めた「植民地支配レジーム」という勢力が存在します。親日派は、ただ単に日本の植民地主義者の付属物、従属物ではなく、ひとつの利権集団として存在し、その後も親日を親米の看板に置き換えることによって、東アジアを支配しつづけている、東アジア支配レジームがあると考えています。植民地支配下において抑圧されてきた人たちが、解放され、自由を得ることを著しく阻害したのが、この東アジア支配レジーム(これは韓国における親日派であり、台湾においては、日本とアメリカと結託した蒋介石政権でしょう)でした。国家暴力の被害者たちは、そのことを強く訴えるべきだと思います。朝鮮半島では象徴的には済州島の4・3事件に始まった民衆の抵抗闘争が非常に残虐な弾圧を受けましたし、台湾においても冷戦時代を通じて自分たちの正義を主張することは許されず、徹底的に封じ込められてきた人びとがいるわけです。それらを糾明することこそが、東アジア近代、すなわちアヘン戦争以降の地域における支配・被支配関係を明らかにし、民衆たちを復権させることにつながります。そして、この地域における東アジアの概念の変革、そして主人公たる主権者たちの本当の意味の登場を実現するひとつの道筋になるのです。

  私たちの課題は、自分たちが主権者であることを自覚することです。日本はきわめて異常な国だといわざるをえません。たとえば、小林多喜二の獄中での虐殺は、明明白白な事実であるにもかかわらず、日本国家は事実の調査もせず、被害者家族への謝罪も補償も一切していません。「日本はどうして東アジアの被害を受けた人びとに謝罪や補償をしないのか」と、私もよくたずねられますが、それに対して「そんなことするわけないだろう。日本の国家暴力の犠牲にされた日本国民に対してさえ、日本国家は一切何もしていないんだから」と答えます。これはきわめて異常なことなのです。ヨーロッパにおけるナチスの問題だけではなく、ラテンアメリカや東アジアにおいても国家暴力の不正な行使に対して、これを清算しようということは、程度の差はあってもずっと行われてきています。日本だけが一切やっていません。これが天皇制明治国家の連続性の証拠であり、日本が変われていない、「文明」と「野蛮」という二元的な東アジア観をずっと引き継いでいることの、何よりの証拠だと考えます。

 結論として、若者たちのめざすべきことは、この「野蛮」という烙印を押された「野蛮」が「文明」を変えていくことです。これを私の結びの言葉として、このアジア青年交流プロジェクトが成功してくれることを心から祈りながらお話を終わりたいと思います。ありがとうございました。