EasiaPT blog

東アジア青年交流プロジェクトのブログ

東アジアとは何か?―民衆中心の東アジアをいかに創るか? 徐勝氏講演録③

②からのつづき 

  さきほど主催者が東アジア青年交流プロジェクトについて「世界というのは広すぎるので、まず東アジアだ」というふうにおっしゃいましたが、私はそういう理解の仕方はよくないと思っています。とくに日本にとっては、東アジアの地域概念、歴史的概念をどのようにクリアするかということによって、初めて普遍的な、あるいは世界への道が拓けると考えます。その道を通らずに日本が世界を語ってきたからこそ、日本は歴史的な大きな過ちを犯してきたと思っています。東アジアを考えるにあたって、魯迅は『故郷』という短編小説のなかで、次のような言葉を記しています。

 希望とは、もともとあるものと言えぬし、ないものとも言えぬ。
 それは地上の道のようなものである。
 地上にはもともと道はない。
 歩く人が多くなれば、それが道となるのだ。

 文明とか文化といわれるものは、自然の上に人間の生活がつくってきた足跡です。この足跡がまさしく魯迅のいう「道」にあたるわけで、人類がこの地上に生存するためのさまざまなもがきやあがきのなかでできてきたものが「道」です。東アジアという道はどんな道であり、誰が歩いてきたのか。私たちは、東アジアが昔からこの地域にあったと錯覚しがちですがそうではありません。そもそもヘレニズムの世界から東方を見て、アジアという言葉が使われるようになりました。そしてヨーロッパの大航海時代、産業革命を経るなかで、この概念がどんどん地球大に拡がっていきました。明治初期に、東京美術学校の校長をしていた岡倉天心は、「アジアはひとつだ」と言いました。アジアはひとつでしょうか。そうではないと思います。ある人は「アジアは多様だ」と言いました。そんなことは当たり前のことです。そもそも、私たちが社会契約を結んだり、一致団結したりして「アジアをつくろう」と、つくったものではないのです。この地域に侵入してきた西洋の列強が「アジア」と規定し、名前をつけた。そういう烙印を押したことがアジアの始まりなのです。帝国主義者の歩んできた道がアジアという概念なのです。しかし同時に、侵略、支配のなかでこれに抵抗をしてきた闘争も、もうひとつのアジアであると言えるだろうと思います。

 近代社会の誕生以降、ヨーロッパでは主権国家が長年の宗教戦争を終えて、外部に向かって膨張する時代に入ります。そこで、さまざまな道をつくって、アフリカ、ラテンアメリカ、アジアという地域がヨーロッパの帝国主義国家によってつかみだされたと理解すべきだと思います。私は東アジアの問題を考えるにあたって非常に重要なのは、近代国家、主権国家の誕生にあたって国家間の独立平等、内政不干渉という概念が作られたことであると考えます。中世の世界、ローマ教皇神聖ローマ皇帝のもとに序列化されていた縦型の構造が破壊され、それぞれ独立国家が誕生し、そこから近代市民社会における個人の平等という概念の萌芽が現れてきたと一般的にいいます。私はそれを肯定的に評価します。ただし、この世界が、外に向かって膨張していくなかで、自分たちの特権的な立場を確保していくために、彼らは「文明」と「野蛮」という考え方をつくりました。すなわち西洋世界、いわゆる近代的な法体系のもとにある国家は文明であり、それ以外の国家は野蛮あるいは未開だという二元的な世界観をもったわけです。であるから、この地域にあらわれた西洋帝国主義者たちは、「不平等条約を押しつけることは正しい。自分たちと平等な立場にない野蛮国家には不平等条約が当然である、奴隷制や植民地支配は、野蛮な彼等を文明化するためには当然のことである。自分たちに神があたえた使命である」とまで考えたわけです。

 

④へつづく